序文                     



「豊かさを求めて」というテーマが新聞やテレビなどのマスコミで盛んに取り上げられる。経済の発展も、社会の成熟化も一定の到達点に達したにもかかわらず、なぜかいま一つ心の充足につながっていかないということがその背景にあるのだろう。

豊かさを目指してまっすぐに歩んできた道が曲がり角に差しかかろうとしているのに、次に向かうべき道が未だ見えてこない。苛立ちながら足下に目をやると、歩んできた道も整備された快適な道ではなく、石ころだらけで土ぼこりの舞う、いたって整備状況の悪い道であることに気が付く。一体いつまで努力を続ければ豊かさにたどり着くのだろうか、というもどかしさと漠然とした不安が現代に生きる私たちの心に徐々に広がっている。

豊かさというのは生活していく上で実感されるものであり、そしてその生活は心の問題や、家庭を始めとする人とのつながりから、経済的問題、住宅などのハード面までの非常に多様な要素によって構成されている。したがって、豊かさに向けての新たな提案がなされるためには、多岐に亘る社会の枠組みの、生活を上位に位置づけた新たな再編プランがその水面下に用意されていなければならない。それがなければ単なる絵に描いた餅にしか過ぎないことになってしまう。複雑に拡大した社会全体の次なる構想は、経済や産業技術、環境問題といった特定の領域に突出した改革論だけでは描けないのである。

ところで、シンポジウムなどの締めくくりの言葉に「このような方向に向かって皆で取り組めば、豊かな社会は具体的なものとなっていきます」という類いのくだりがよくある。さて、"皆"とは具体的に誰のことを指しているのだろうか。今、求められているのは、豊かな社会の理想のありようを描くだけではなく、そこに至る確かな道筋を開く新たな体制の枠組みと、その中で先導的役割を担うべき主体を明確にすることである。

また、経済活性を前提として豊かさが語られるケースが多いことも気にかかる。数値目標を更に上げれば豊かさに近づくのか。経済偏重社会の中で、我々は社会の各構成要素を数値化して、その数値を上げる努力を続けてきた。その我々が現在抱えている漠たる不安を解決するのもやはり経済だというのか。はたして経済とはそこまでオールマイティなのだろうか。

 経済価値を重視する社会は、世の中に存在するあらゆるものを誰にでも分かる数値目標に置き換えて、その達成を強いてきた。そして、数値に置き換えられないものは合理性の乏しい、非近代的なものとして切り捨ててきた。そのような経済偏重社会の特性を背景に、いたって漠とした存在でしかない生活の質や豊かさといった概念は置き去りにされてきたのではないのか。

経済の低成長時代を迎えた今日、私たちが新たに描き出す未来社会の構想は高度経済成長時代の枠組みに留まるものではありえない。求められているのは「真の豊かさ」を重視する社会であり、それを実現させるための手段である。

豊かさの認識は、個人の生活観、価値観によって異なってくる。したがって、それぞれの豊かさを保証するためには、生活の多様性を支援する充実した仕組みが必要となる。例えば、マス経済による一律な商品の提供から何歩も踏み出した、きめこまかい生活享受の機会を提供する。これによって人は自分の生活の豊かさを実感できるようになる。つまり、多様な価値観の積極的な評価が生活の質を高め、「真の豊かさ」を生むのである。

 このように、未来社会の枠組みの根底には一元的なマス経済社会とは対極にある多元価値社会の考え方がある。しかし、現代社会は圧倒的な経済振興の下に拡大してきた。これを人間中心の多元価値社会にシフトさせるためには、社会の各構成員の柔軟でしたたかなネットワーク体制の構築が必要になる。社会の基本である「生活」を守ろうとする自戒の精神、そして公共の観念を持った個人が、現在置かれている立場に埋没することなく、異なった立場の人々と緊密な協働を行うことが今求められているのだ。その協働の枠組みをどのように開発するかが、豊かな社会実現のカギを握っているといえるだろう。



本書では、人間中心の多元価値社会を目指して協働すべき社会の主な構成員の立場を四種取り上げ、各々が進むべき道と協働手法を提案している。

第T章の「企業人たちよ」では、「我に目覚めるか企業人」という副題の下に、パブリック・サービス(社会への奉仕)という概念を基盤に、本来は社会全体に最も大きな影響力を行使できる機能を有している企業活動が、ヒューマニティに依拠しない経済システムの中で自己矛盾に陥っている様を取り上げ、今後の人間中心の社会に向けた企業組織の再構築のあり方について提言している。

 企業社会には、いつの時代においても生活者への奉仕というスタンスが求められ、またそのスタンスに立つからこそ、次なる産業目標の基本をなす新たな生活スタンダードが見えてくる。しかし、自己目的化したマス経済社会の中で低下する企業文化の質は、今や私たちの生活の健全化を図るうえでの妨げにさえなろうとしている。いかに産業社会が高度化しようとも、企業はパブリック・サービスという存立の原点から離れることはできない。

第U章の「生活者たちよ」では、「生活への回帰によって取り戻す生活上位の社会」という副題の下に、生活が本来の力を取り戻し、地域が自立性を回復することによって獲得されるはずの安定した地域社会の実現方策について提言している。

生活のあらゆる面で豊かさが実感できるためには、健全な地域社会の存在が前提になる。しかし、地域社会は過度に一元的になった経済偏重体制によって、すでに久しい以前から解体に追い込まれてしまっている。生活が実態を回復することによって、地域は活き活きとした姿を取り戻すようになり、そして実態を回復した地域に地域産業の新たな展望は芽生え、それがまた地域の自立性の高まりに繋がっていくようになる。

第V章の「地域産業従事者たちよ」では、「地域産業は地方の時代の基幹産業」という副題の下に、大手企業の資本と組織の論理に駆逐される地域商業や、下請け構造の中で疲弊の度合いを強めていく地場製造業の新たな活性化戦略として、生活者と連携した生活産業への転換を提案している。

 しかし、地域の中で生活を共にする地域産業と生活者との間には、現状においては何のコミュニケーション・チャネルも存在しておらず、互いに相手の定住を阻害しあう存在にしかなっていない。そのような地域産業が、地域生活支援というスタンスに立ち返ることによって達成できる産業活性の考え方について言及している。

そして、第W章の「地方自治体職員たちよ」では、「行政マンは地域再生のコーディネーター」という副題の下に、生活の舞台となる地域の実態化の促進の必要性と、その推進方法について言及している。

そのためには、生活者、地域産業、更には大手企業とも連携を図らねばならないが、元々この三者の間には共通言語が殆ど存在していない。生活者は企業に対して不信感があり、逆に企業は地域を理解不能のややこしい存在と感じている。地域産業も、知的所有権を侵害されたりする中で、資本の論理を貫く企業の横暴さには強い嫌悪感を抱いている。そして、生活者と地域産業は、地域を共有しながらも互いに何の関係もない、背中合わせの併存関係でしかない。

 それぞれ思惑が異なる、共通言語を持たないこの三者を誘導しながら、望ましい地域社会を実現させていくべき立場にあるのが、地方自治体である。都市間競争、地域間競争が激化しようとする中で、地域のプランニングとその実行は新たな段階を迎えつつある。地方の時代到来の予感の中で、地方自治体には"豊かさに向けての地域の経営"という新たな地域戦略が要求されるようになっているのである。



最終章である第X章の「多元価値社会の成立に向けて」では、四つにカテゴライズされたそれぞれの社会領域の相互の関係と、各社会構成員が新たな社会実現に向けて行うべき具体的な協働の手法を明らかにしている。

豊かさを実感できる社会を目指すためには、様々な社会領域に位置する人たちの輻輳したネットワーク体制が地域を舞台に構築されなければならない。しかし、現在の社会構造は複雑に拡大、深化しすぎて、自らが所属する領域以外の世界がいたって理解しにくいものになっている。そのために、隣り合わせてはいても、他の社会領域の論理や価値観を有する人間とは共通言語を持つことができず、正しい関係を築くことができない。

社会がこうした隔離的な縦割りの環境の中で推移する限り、他の社会領域の人たちとの協働による新たな社会の建設など望むべくもない。西暦二千年時代を豊かさが実感できる社会にするためには、私たちはまず協働のパートナーとなるべき隣人の理解から始めなければならない。自律とCivic(公共)の精神をもって、様々な立場の隣人たちの喜びと悲しみを知ることにより、豊かさを実感できる社会の実態化に向けての一歩は踏み出すことができるようになる。

■付:「地域」という言葉の意味について

 本書では、グローバル経済の猛威に対向できる思想を多元価値社会の建設に求めている。そしてその実現方策として、第X章の「多元価値社会の成立に向けて」で社会の二重構造化を提案している。そしてその中で、現在のマス経済社会と共存、時には対立すべきオルタナティブの社会体制の具体的基盤を"地域"に求めている。したがって、"地域"という言葉は本書の中で頻繁に登場することになるが、この"地域"という単語は時によって、また人によってそのイメージと意味する地理的範囲は異なってくる。本章に入る前に、ここで地域という言葉が持つ複数の意味と地理的範囲について規定を行っておきたい。

 本書においては地域は主に"生活圏"という意味で用いられているが、その生活圏である地域は次の三つの圏域に分けることが出来る。

 まず、最も範囲の狭い圏域として徒歩圏がある。これは概ね半径五百m圏を指し、生活者の一般的な日常生活はこの範囲で完結している。したがって、この圏域での生活課題は純粋に生活上の問題であり、狭義の住環境やゴミ処理問題を始めとする町内会的な問題が中心になる。

 そして、この小規模地域が複数存在するゾーンとして中規模地域がある。これは、概ね小学校区から中学校区の範囲を指し、"山手地域"とか"下町地域"と言われるように、 "地域"という言葉の一般的なイメージに最も近いものであろう。この中規模地域は小規模地域が互いに影響しあう範囲であり、地域の特性もこの範囲で形成されている。この圏内での課題は、住環境問題に加えて、福祉や地域産業問題といった、行政や企業との連携によって解決を図るべきものが中心になる。

 そして、その中規模地域が複数存在するエリアとして大規模地域、つまり市町村域全域がある。これは、地域間競争が激化する中で、中規模地域毎の役割分担の明確化と、効果的な連携手法の開発による総合的な地域戦略によって、市町村域全体の向上を図るべき地方自治体の取り組み領域となる。

 地域全体は、このように三つの生活圏領域によって構成されていると考えることができる。そして、それぞれの地域の域内完結力の強化と、小規模地域間、及び中規模地域間の、複合的で実態的な人とモノと情報のコミュニケーション・チャネルの敷設によって、地域はスパイラル的に実態を回復していくことができるようになる。

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