3.経済上位社会体制の弱体化と強制終了の予感


変化の連続性を存続のための必須条件とする資本主義システムは、前期である社会の建設期からバブル経済期の後期に至る流れの中で、その変化の波をより速く、そしてより変動幅の大きなものにしている。エネルギーの波動の法則によると、波動には徐々に加速度を増しながら振幅の幅も拡げていく性質があり、そのスピードと振幅の幅が極限状態に達すると波動はバーストを起こし、一転して絶対的安静状態に転じる。

 私たちは、現在の経済社会体制が自分たちを幸せに導いてくれる優れたシステムだと信じて、全幅の信頼を寄せてきた。確かに科学の進歩と経済の拡大は、貧困のために生存権を脅かされる人類を救い、高度の物質文明を私たちに提供してくれた。しかし、その流れは社会が一定の成熟段階を迎えても留まるところを知らず、私たちに更なる消費マインドの高揚を強いている。

 消費マインドの低迷が経済の停滞を招くのであり、"景気"といういたって実態のあやふやなものを持続させるために、国民は限りない消費活動を続けなければならない。私たちはいつまでまちに出て飲食と購買を続けなければならないのか。それはさながら、限りない物欲に追いたてられてまちを彷徨う餓鬼のようでしかない。そして、その流れは更に熾烈な、世界を舞台とする市場経済の流れに私たちを巻き込んでいこうとしている。

 経済人は経済の停滞化を社会全体の危機を招くものとして警告する。それとは逆に、限りない進歩と拡大の反作用による地球の危機を防ぐために、それらの欲求を放棄して貧しさを受け入れる準備をすべきだと唱える人もいる。しかし、本当にそういうことなのだろうか。現代社会は経済をかけがえのないパートナーとして見なさなくなった途端に崩壊の危機にさらされるのだろうか。

 土地の所有を基本に、そこから収穫される米によって経済システムが成立していた封建社会の時代は、米を金に換えてモノを求めるシステムだった。そして、それに次いで金でモノを買う資本主義システムが登場した。そして現在、我が国も参入を余儀なくされているグローバル化に向かう市場経済の世界は、金で金を買うシステムであるということができる。

 封建社会に生きていた人間には米で廻る社会の終焉など夢想だにできなかったことだろう。しかし、封建社会が無くなったところで米の流通は終わった訳ではない。現代においても日本人の主食として立派に流通している。それと同様のことが資本主義社会についても起こるだけのことではないか。経済上位の社会体制が終焉に向かおうとも、それは別段、金で廻る現在の経済システムの消滅を意味しているわけではない。米がそうであったように、金で廻る経済システムも社会の基礎インフラと化すだけのことではないのか。

 人は、米のために生きた時代から金のために生きる時代を経て、次のステージに向かうべき時期を迎えていると考えることができる。資本主義社会を動かしている現在の経済システムは、自らのシステムを中心に据える社会体制を自ら終わらせるために機能しているように思えてならない。

 科学技術と経済の発達は、社会資本の整備を充実させ、それによって日常生活に係る負荷(ランニングコスト)を大幅に軽減してくれた。経済企画庁は、平成十一年度版の物価リポートで、所得の上昇に対する物価上昇の伸び率の低さを報じている。それによると、製造業に関しては、テレビの価格が三十年前に比べて五分の一になったことに代表されるように、技術革新による価格低下が進んでいる。公共料金も規制緩和によって平均価格は下っており、電話代はこの十年間で七八パーセント値下がりし、航空運賃も一貫して値下がりしている。流通業は構造変革によって流通マージンが下がり、農業製品も生産技術の向上と物流システムの効率化で値下がりしている。この三十年間で、全体として雇用者所得が約八.九パーセント上昇したのに対して、商品の物価上昇は二.七パーセントに留まっているとこのリポートは報じている。

 しかし、自己目的化の流れにある経済システムは、住宅ローンや教育費のように依然として家庭に多額の支出を迫り続けている部分もある。しかし、それとても本来は国民の負担とするのはおかしい部分がある。我が国の福祉領域で最も遅れているのが住宅問題で、本来、住宅は国の政策の中で提供されなければならない。国は住宅ローンを開発して、国民の自助努力による持ち家取得を奨励したが、そのような市場原理に任せきった住宅建設の流れは、一方で耐用年数が短い狭小な欠陥住宅を溢れさせる結果を招いている。多額のローンを組んで購入した住宅もそのローンが終了するころには建替え時期を迎えることになり、何時までたってもストック化されることはない。

 教育費の問題は、過度の受験戦争に起因するものであり、社会の構造的な変革期にあっても、いまだに良い学校から良い会社へという幻想を抱き続けている教育ママによるミスリードでしかない。

科学技術と産業の高度化によって、日常生活に係る負荷が大幅に軽減されるようになった現代に生きる私たちは、生活の維持のためにさほど多額な費用を必要としなくなりつつある。私たちは経済的価値を偏重する時代を卒業して、金で廻る経済システムを社会の基礎インフラとする、次の時代に向かうべき時期を迎えていると考えることができる。

米から金へ。そして、科学と経済の時代に築いた完成度の高い社会資本整備と産業技術の革新力を背景に、生きていくための負荷の低い、したがって経済を上位に位置づける必要のない新たな社会を目指すべき段階を迎えているのである。

また、その主たる役割を終えようとする経済社会体制のエネルギーの縮小化に一層追い打ちをかけることになるのが、先に述べたインターネット経済であろう。ネット社会の隆盛は、従来の価格体系の崩壊と中間産業の消滅を促し、産業社会全体の縮小化を促すことになる。更に言えば、弱体化に向かう経済上位社会体制を強制終了させる力さえも有するようになるのではないかと予測することができる。



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