3.二十一世紀の企業のあり方


■人間に軸を置いた企業運営の考え方

 イタリアという国はECの落ちこぼれになったり、驚異の成長を遂げたりと、経済力という面では大きな変動を何度か繰り返しているが、生活を上位に据える価値体系は終始一貫している。イタリアの街角で、日曜日の朝にベンチに佇みながら多くの家族が教会に集う風景を眺めていると、神と生活の存在を実感することができる。

 またそれに加えて、イタリアには長く人間が住み続けてきた歴史が有る。生活を軸に構成された社会の長い歴史は生活文化を高度に成熟させ、そのような環境を支えることを目的として産業も存立している。ファッションにしろ、インテリア、カーデザインにしろ、あくまでも使う人間に主眼をおいて商品開発が行われるためにイタリアの商品は魅力的なのである。

 また、イタリアと日本の商品の製造工程を比較すると、イタリア製の方が日本製よりも製造工程が長いケースが多い。これは一般的な工場生産を中心とした工程に、人間の手による作業工程が日本よりも多く加えられていることによる。工場生産システムの上位に人間の技術が位置づけられているのである。イタリアの経済発展を支えている仕組みの一つは職人産業の存在であり、生活文化に根差した技能が要求される職人産業は画一的、効率的な空間を嫌い、感性を刺激するヒューマンスケールの空間を要求している。

 生産能力に制限を加える手作業の工程は、日本では非効率なものとして可能なかぎり削減される方向に向かう。マスマーケットが存在した時代の大量生産体制から未だ脱却できず、工業生産技術と人間の手による職人技術との適切な折り合いを付けられないのである。

人間に基礎を置かない経済システムに依拠して成長してきた我が国の企業社会は、ともすれば人間に対する畏敬の念を失しやすい。しかし、産業社会がどんなに(一見)高度になろうとも、産業が人間から遊離して成長を続けていくことはありえない。高度化の果てにそのような理解に至っているとすれば、それは企業人の傲慢さ以外の何者でもない。

産業は何処までいっても人間の営為を支えるための存在でしかない。商品開発や技術開発、そして新たな事業開発などの企業の行為は、全て人間とのより親密で輻輳した関係開発を目指して行われるのである。したがって、産業の目標はあくまでも人間であり、生産効率と、商品を如何に市場に押し込むかといったことだけに腐心するような硬直化した発想では、二十一世紀を生き残っていくことはできない。その運営にあたっては、人間を真に納得させることができる、作り手としての人間の技に対する評価の精神がなければならない。


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