第3節.若き企業人たちよ


1.社会と会社と個人を巡る因果関係とは何か


■社会を知るということ

 私の父は愛知県警の犯罪科学研究所(現在の科学捜査研究所)の初代所長を務めていた。ひき逃げ犯を特定するための追跡システムの開発。名古屋港で起こった巨大タンカー爆発の原因究明。死因の判然としないホステスの検死。子供の頃、父が時折話してくれる事件解明の為の推理の進め方と証明の作業は、科学性に富み創造力と技術力を駆使したもので、私は子供なりにめくるめく感動を覚えたものだった。

 私が高校生だったある日、父は私にこんなことを話してくれた。「小学校の頃から自分と同じような属性の人間とだけ群れて交友関係を作り、高校、大学では、更に学力も共通した人間たちが集まることになる。お前は、今までの同種の属性の人間だけで群れた狭い範囲の人的交流の経験だけで、自分は世の中の最大公約数的属性の中にいると思っているだろう」「しかし、実際はそうではない。どうしても理解できない属性の人間、分かっていても犯罪を起こしてしまう人間は世の中に幾らでもいる。狭い範囲の人的交流の経験だけで自分を世の中の最大公約数的人間と誤解していては、大人になってから失敗することが出てくるだろう」

 この話に私は驚いた。まさに私は父が言うように、自分は平均的で最大公約数的な日本人だと信じて疑わなかった。それ以来、私は社会全体と自分自身を客観的に対峙させて観察することを戒めとし、あわせて世の中というものに大きな関心を持つようになった。しかし、そのように自戒していたにも関わらず、三十代の初めに会社員を辞めて独立した当初、如何に自分は今まで所属していた業界、及びその周辺のことしか知らなかったか、社会全般に関して無知だったかということを改めて思い知らされた。

 会社は何らかの社会要請に応えるために生まれ、要請に応え得る限りにおいて存続が許されている。だから、社会を知るということは企業人として世の中で生きていく上での最低の義務なのである。親の生きる辛さを知り、友人の心の痛みを知り、近所のおばちゃんの喜びと悲しみを知る。いかにして自分の生活の中で関与するあらゆる人間の生き様を理解することができるか。社会とはそうしたあらゆる人間の生き様の総和でしかない。

 しかし、会社人間は自分の属する企業という小さな村社会以外のことは殆ど知らない。しかも、自分が世の中のことを知らないということすら分かっていない。企業には、そういった社会と隔絶した自己完結的な常識を強いる部分がある。したがって、サラリーマンの関心事の大半の部分は社内的な事にしか向かわない。帰宅時の電車の中や酒場で聞こえてくる、興味範囲が社内の人間関係だけに絞られた、自己中心的で無責任なサラリーマンの会話にもそれが表われている。 

 社会の実態を感知し、自分との因果関係を実感した時に初めて自己の信念が芽生える。自らの意識に哲学が宿るのである。会社と適度に折り合いを付けながら社会全般を広く知る努力を続けることが社会人としての資質を高め、ひいては会社に貢献出来る資質を培うことになる。



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