3.企業社会をしなやかに生きる工夫


■スカートをは穿いた男になってはいけない

 「女性の視点」や「生活者の視点」という言葉が頻繁に登場するようになっている。女性をメンバーに加えておかないと主催者サイドの文化度が問われるとばかりに、様々な委員会や会議の場に女性の参加を求めるケースは極めて多くなっている。しかし、そのような場での女性の発言に、女性本来の生活実感に根ざした論理を感じることはあまり多くはない。

 衰えたりといえども、社会はまだまだ男性論理で構成されている。その中で弱者の立場にある女性が男性に伍して堂々と仕事をしていくのは難しい。そこで男性社会に受け入れられやすいロジックを用いてしまうのである。しかし何度も言うが、女性論理の優れた点は、社会の基本である人間や生活をべースに組み立てられているところにある。それなくして何が「女性の視点」か。

 シンポジウムなどで「女性の視点から一言いわせていただきます」という前置きはよく聞く。だがその内容はといえば、わざとらしい日常の私事に始まって、男性社会を揶揄し、そして最後は男性論理と同種の論理構成で意見をまとめる。それはさながらスカートを穿いた男性のようでしかない。

 確かに、男性論理でブロックされた社会の中で自分の意見を通し、評価を得るのは至難の技であろう。しかし、だからといって男性論理に身を委ね、外見的な性差だけを武器に安易に男性論理の産業社会にすり寄ってはいけない。この男性中心社会の何が崩れようとしているのか。なぜ男性は自分たちを揶揄する程度の話に自嘲的な笑いを浮かべることしか出来ないのか。それに対して女性が女性であるアイデンティティを如何に発揮するか。

女性が中心の新しいカウンターカルチャーはまだ本格化しているわけではない。しかし、ポスト開発主義、ポスト経済偏重社会は私たちの目前に迫っている。本来は産業よりも上位に位置する、"生活"を基盤にした新しい産業社会の枠組みが求められているのであり、そしてその推進主体として自らの生活実感に依拠して生きる女性の視点が求められているのである。


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