2.生活と地域の実態化が導く生活上位のもう一つの社会


■生活の実態の回復から始まる社会の再生

マス経済体制は社会のあらゆるエネルギーを吸収しながら一人拡大を続けた。そして、光り輝く高度経済成長の陰で、経済以外のあらゆる社会の構成要素は限りなくその実態を希薄化させていった。その流れが限界まで到達した現在、バブル経済の崩壊と共にマス経済社会は新たに体制を整え直す必要に迫られているが、それを支える環境は既に何処にも見出せるような状況ではなくなってしまっている。

産業社会がもう一度産業目標を取り戻して活き活きとした姿に戻るためには、マス経済振興の犠牲になって切り捨てられてきた社会の多くの構成要素が、もう一度実態あるものとして再生されなければならない。その再生の要となるのは生活の実態の回復である。生活文化も、情報流通も、経済も、全ては人間に付帯する存在にしか過ぎない。したがって、人間にあらゆる価値の基本が据えられていない社会では、生活文化が育まれることはなく、真の情報の受発信も起らず、その結果として地域経済が豊かになることは決してない。人が輝く社会においてこそ、生活文化も情報も地域経済も躍動することができるのである。

"強いお金"に駆逐されつくしてしまった地域をもう一度実態あるものとして再生し、その中に豊かな地域生活の実現を企図するためには、何をおいてもまず地域生活者自身が、生活を軸に社会を評価できる精神の自立性をもう一度確立しなければならない。しかし、現在の私たちの社会にはそれを支えてくれる環境は何処にも見受けることができない。

現在は情報の多様化の時代といわれている。しかし、一般的な生活者が触れる情報の世界でいえば、それはさほど多様化していない。単に多重化しているに過ぎない。経済的価値に一元化された情報が、テレビや新聞、雑誌などの様々なメディアを通じて朝から晩までこれでもかとばかりに繰り返し供給されているだけである。一元化された情報のこのような多重な流通現象は精神の自立性が薄れつつある国民の思考の短絡化と一元化を一層促すものであり、その流れは高度経済成長を終えた今も経済的価値へのコンセンサスを更に強固なものにしながら生活の復権を妨げている。

 生活の自立が果たされれば、それが地域の主体性の回復を促し、実態を回復した地域は豊かな地域生活のための不可欠の要素である生活文化の醸成を促し、そしてそのことは地域経済の健全化という地域の自立性の回復へとつながっていく。そして、生活の実態が回復することによる重層的な地域社会の実態化によって、マス経済社会は新たな産業目標を定立することが出来るようになる。困惑する社会の再生は生活の実態化によって図られなければならない。


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