■食えてこそのまちづくり

 まちづくりの時代である。多くの地方自治体で「まちづくり」を冠に付けた部署やまちづくり推進のための外郭団体が作られ、地域ではまちづくりのための住民組織が生まれている。そして、各地域では頻繁にまちづくりのワークショップが開催されるようになっているが、そうした活動に地域産業従事者が積極的に関与することは少ない。また地域産業の活性支援による地域活性の推進といった視点が議論として取り上げられるケースも、従来はあまり見受けられなかった。あくまでも中心はその地域の居住者であり、議論は地域で住み続けを図るうえでの課題に終始する傾向が強い。まちづくりのテーブルの上にビジネスの話が持ち込まれることはタブー視されているかのように見える。

 こうした状況が生まれている背景には、生活を上位に据えて収益事業活動を下に見る風潮や、まちづくりの指導的立場にある人間が概ね建築系や都市計画系の専門家であるために、産業という実業の世界に理解が届きにくいということも影響しているものと考えられる。また、産業サイドとしても、生活者との意見交換は自社の企業活動に何らかの制約を受けることになるのではないかという警戒心もあって、そのような場に同席することを敬遠したがる向きもある。

 最近になってようやく地域居住環境の改善を産業振興と一体となった中で進めていこうという動きが顕在化する傾向にあるが、それでもその方針が具体的活動として実を結ぶケースはまだまだ少ない。それは、一つにはそうした活動の核となるべき生活や地域に実態が乏しすぎるためである。また、産業サイドの従来の取り組み姿勢の中にも、地域というテーマは全くといってよいほど見受けられない。生活と産業が実態的に地域に根づくことが出来ないこのような環境の中にあっては、生活と産業の相互活性をもたらすための、地域を舞台としての協働関係の構築など絵に描いた餅でしかないということができよう。

 高度経済成長期のまちづくり運動は、マンション建設反対などに代表されるように、地域に侵入しようとする外部経済に対する抵抗運動が中心だった。そして、その後の経済不況とともに対立する外部経済の勢いは影を潜めていった。しかし、そのことは地域にとって何ら勝利を意味したわけではなく、皮肉なことに、地域への投資意欲の減退は地域の不振、更には全体的地盤沈下の進行へとつながっていった。

 活き活きとした地域づくりに向けて地域への資本の適切な誘導は不可欠であり、したがって、撤退した外部資本に代わって期待されるべき存在が地域産業ということになる。特に地域産業の盛衰は、外部資本とは異なり地域生活と一体構造にあるために、地域生活、地域環境、雇用機会など、地域生活の多くの領域に複合的に影響を与える。地域産業の活性は地域の自立性強化につながり、逆に衰退は地域全体の環境悪化や地盤沈下に直結する。まさに"食えてこそのまちづくり"であり、まちづくりに"もっと儲かるまちづくり"という視点が望まれるゆえんである。

住んで・働いて・憩う。地域生活の全方位性確保という観点からも、まちづくり運動の推進主体はもっと地域産業の活性支援という視点を重視して、積極的な彼らの参加を求めなければならない。そして、地域産業従事者自身も、自らの産業活性のために新たな活路を地域に求める視点を持たなければならない。本来、地域が健全に存在するところにこそ地域産業は根づくことが出来るのであって、健全な地域だけが産業サイドに生活課題に基づく産業目標を与え続けることが出来る。


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