黒壁の家
北大路まちなかコラボレーション’02の概要
北大路まちなかコラボレーションが2004年度グッドデザイン賞受賞
我国の住宅を特徴づけている風土の特性として、以下のようなものがあげられる。
@ 木が多い
世界の住宅は、その地域で最も廉価に入手できる素材がメインの建材となっている。西欧においてはそれが石であり、日本が位置する東アジアでは木である。地震や台風という人知を超えた圧倒的な自然の力を身近に感じざるを得ない風土と、豊富な森林資源が、我国の壊れてもすぐに再生できる木造の循環型都市を造りだした。
一方西洋の都市は、風土的に自然の圧倒的な力を身近に感じる事が少なく、石積の建物により人間が自然と対峙する形で築き上げられた。この風土が、弁証法的世界観を初めとする西洋的価値観の礎となっていると考えられる。
自然と共存せざるを得ない風土が我々日本人の感性に与えた影響は計り知れず、絶対性よりも関係性を重視する独特の価値観を生み出し、これが、現在の日本人の強みとなり弱みともなっている。
近代化により劇的に流通市場が整備され、建築材料の地域性が経済の発展とともに変化し、さらにその状況も技術革新等により常に短期スパンで変化し続けることとなった。このことが、従来の街並みを形成していた経済的合理性という潜在的ルールを混乱させ、街並みを混沌とさせることとなった。今回のコラボレーションの目的はこのルールを建築家が意識的に設定して、人工的な仮想のルールの中で秩序ある街並みを現実化しようとする事にあると考える。
A 高温多湿である
床の発生起源には諸説あるが、日本の湿潤な気候が床に生活するという生活様式を必要としたのは間違いない。土間に対して床は家具に相当し、家具の上に住まう世界的に見ても稀な生活様式が標準化した。この事が、ひいては日本人の異常とも言える潔癖さにも大きく影響していると考えられる。
また、木造の軸組み工法は、日本の高温多湿な風土において、通風を十分に確保するために有効であり標準化したものである。個々の部屋を壁ではなく建具で仕切る生活習慣が、日本人のプライバシー意識を希薄にし、共同体意識を強く持つ遠因にもなっていると考えられる。
B 平地が少なく、山が多い
平地が少ない為、高度に密集した都市を木造で作り上げるに際し、西洋のように積層する事で密度を上げる事が出来ないので平面的に密度を上げる工夫が独自になされ、高密度な都市の中でも良好な住環境を確保するべく様々な工夫がこらされてきた。京都のように鰻の寝床状に間口が狭く奥行きの深い地型の土地に、ゼロロットで住戸が建ち並ぶ中でも、坪庭のように個々の住戸が独立性を確保しつつ自然を感じとれる工夫がなされている。
住戸単位においても空間をより高度利用するために、居室が多目的化した。特定用途ではなく、様々な使われ方を許容する和室は究極の多目的室であると言える。住戸内の土間は外部と内部の中間領域であり、土間に隣接してならぶ居室は、それを仕切る襖や障子によって「私」と「公」の間の距離感を段階的に変化させる。来客次第で通す深さを変える事ができ、各々の深さで土間から床に腰掛けて話をする事もできれば、完全に床に上がって話をすることもできる。このように、住まいは住まい方によって空間の性格が様々に変化する可変性を持っている。また、この工夫は、ハード面のみならずソフト面にまで及び、住まい方の作法等が作られるに及んだ。
我国の住宅のなかでも、京都の町屋は、長い歴史の中で洗練され続けてきた様々な技術や知恵の一つの到達点である。近年において、長い間培ってきた日本人の感性と根本的に異なる西洋的な哲学を礎とする近代主義の流入と近代化の過程において、これらは否定され忘れられようとしてきた。しかし、風土が変らない限り根源的な部分まで我々の感性が変る事はない。これだけ近代化が進んでしまった今となっては、単純に後戻りすることは不可能だが、今だからこそ生かしうる知恵を抽出して、現代の住まい方に添う形で再構築することは、我々が真に快適と感じる住まい作りを考える上で非常に有意義であると考える。
以上の事を踏まえ、本計画では伝統的な町屋の持つ空間の特徴を現代的に再構築することを試みた。
具体的な内容は以下の通りである。
@ 外観
人工的な仮想のルールの中で秩序ある街並みを現実化しようとする事がコラボレーションの目的であると捉え、設定したルールに積極的に対応し、住戸の独自性を表現するために、ルール設定においても前提となった「京都らしさ」(注*)を直接的ではなく間接的に表現する事を試みた。まず、京都の街並みを構成している色彩が瓦による無彩色であることより設定された外壁色を無彩色とするルールに関しては、もう一方で町屋の色彩を特徴付ける軒の影及び町屋の黒さも配慮して黒壁とした。1階道路側を竪格子状の建具とする事で、影のような真黒な建物から住戸内の明かりがこもれ出ることを狙っている。この住宅はあくまでも背景であり、主役はそこに住む人である。また、主役である住む人がより豊かな住まい方ができるような舞台としてこの建物はありたいと考えている。
A床
前述のように、日本の住宅における床は、土間ではなく家具である。床は腰掛ける家具(椅子)であることが床=土間の西洋と根本的に異なる部分である。また、風土的に集中豪雨等による浸水等が懸念される京都では床が必要である。本計画では、改めて床を家具と捉えなおす事により、積極的にその段差を利用して空間の密度を高めようとしている。
リビングと中庭の間の段差は、建具の開け閉めとあわせて、外部と内部の距離を認識させる仕掛である。リビングの建具を開放しこの段差を利用して腰掛けたりすることで、「私」と「公」の距離感が様々に変化する。この距離感は、状況に応じて住まい手が主体的に選択し、住み方にあわせて変化させる事ができるものであり、その可能性は住まい手の工夫に委ねられる。
2階の和室に設けた段差は、改めてこの空間に床を意識させようとしたものである。この和室に入る際、人は自然に一旦腰掛ける事だろう。そして入室する際に、ちょっと異空間に入った感覚を覚える事と思う。少々立つのが躊躇われる感覚。その感覚こそ我々が忘れていた床が本来持っている感覚であり、日本独自の感性の基になっている感覚の1つではないかと考える。
バリアフリーを配慮した場合、中途半端な段差は避けるべきだが、日本の住宅における高床は風土的に必然性があり生活や習慣、風習として根付いているものなので、時として家具ともなる段差は積極的に肯定するべきものと考える。
また、この段差を利用して、1階リビングの天井を高くとり、その段差から間接光が漏れることでお互いに気配を感じ取る事ができるように計画している。
B土間
従来の町屋のように、住戸内に土間を奥深くまで連続して設け、外部と内部の中間領域とした。土間は外部から駐車スペース、玄関を経由して中庭に連続し、これを仕切る建具によって「私」と「公」の間の距離感を段階的に変化させる。来客次第で通す深さを変える事ができ、各々の深さで土間から床に腰掛けて話をする事もできれば、完全に床に上がって話をすることもできる。竪格子戸を全開すると駐車スペースは完全に地域に開放された空間として利用することもできるし、来客の際の2台目の駐車スペースとして利用する事もできる。玄関により、駐車の際の排気ガス等が直接中庭に吹き込まない様にも配慮している。このように、住まい方によって空間の性格が様々に変化する可変性を持たせた。
C中庭
中庭に面して全居室を設ける事で、各居室がお互いに雰囲気が感じ取れるように有機的に結び付け、この中庭自体は空と繋がることで自然と連続し、他の隣接家屋等とは独立性を保つ計画とすることで、この住戸の内宇宙自体は住戸単位で完結している。本計画地は従来の町屋と同様に狭い間口で奥行きが深い鰻の寝床状の敷地であるが、この中庭により、町屋が坪庭等で確保していた自然との繋がりと、住戸の独立性の両立を目指している。中庭のしつらえは住み手自らが工夫できる様に、余計な演出は一切していない。あくまでも住宅は背景であり舞台でありたいと考えている。
D可変性
住み方を限定するような住まいではなく、住み手次第で様々な住み方が可能となるように可変性のある計画とした。格子戸、ガラス戸や吹抜けにより、外部空間と前庭、玄関、中庭、居間や食堂と各居室を有機的に結び付け、戸の開け閉めや使い方により空間の性格が様々に変化する。
E高気密高断熱
樹脂サッシとペアガラスの採用により、高気密高断熱を実現した。従来の町屋は気密性が低く、現代人が住む為には様々な忍耐が必要である。また、音も容易に漏れるので、隣接住戸に迷惑をかけないように住む為には作法が必要となる。現在の技術による高気密高断熱を採用する事で、忍耐や作法がなくても住める住宅とした。また、リビングには床暖房を採用し、各居室毎にエアコンが設置できる計画とすることで、現代では一般的とされている住まい方が可能な様に計画した。
F癒し
癒しを求める現代人が一番こだわるのが浴室である。浴室は以外とないがしろにされることも多いが、本計画ではゆったりとした高級感のある浴室を設置し、やすらぎの空間となる事を目指した。
G自然素材×新建材
本計画では、自然素材と新建材を効果的に組合せる事で、高品質で温かみのある空間演出を狙った。フローリングは桜無垢材とし、壁・天井を珪藻土としている。珪藻土はそれ自体が呼吸をすることで、居室の湿度を一定に保ち、除臭効果があると言われている。キッチン廻りの壁はダイノックシートを利用して、存在感を主張する特徴的な演出を行った。本計画では、建売住宅の演出の可能性を探る意味も込めて、本物の素材と偽物の素材を敢えて積極的に混在して利用し、それぞれの持ち味を生かしつつ、より豊かな空間を実現する事を狙っている。
Hバルコニー
町屋の物干しは表道路から見えない様に裏屋根に設けられていた。一般的な建売住宅では南面接道の場合、ほぼ例外無く道路側にバルコニーが設けられており、バルコニーの並ぶ街並みが典型的な建売住宅団地の景色ともなっている。日照条件の最も良い南面にバルコニーを設けることの合理性はあるものの、道路から見えるような場所に洗濯物を干すのは町屋の奥ゆかしさからすればかなり下品な事のように思える。本計画では中庭の2階部分にバルコニーを設けることで、日照条件を犠牲にせず、表通りから見えずに洗濯物を干す事ができるように配慮した。また、道路面にバルコニーを設置しないことで、本コラボレーションでできる街並みが、典型的な建売住宅団地の景色と明らかに異なることが明確に感じとられるものとなることを望んでいる。
I縁
2階和室前の廊下は和室に腰掛けたとき「縁」となる。単に通路部分でしかない廊下が和室との関係性により縁の性格を持つ事で、最も明るい中庭に直面するスペースとして全く異なる豊かな空間となる。元来、日本家屋に中廊下は少なく、直接繋がる部屋を取り囲むように縁が設けられ、単なる通路ではなく、庭に面する豊かな空間として計画されていた。廊下がただの通路になってしまったのは、やはり特定用途に限定して空間として仕切っていく西洋的価値観の影響と考えられる。本計画では縁が持っている豊かさを取り戻すことを目指した。
(注*)「京都らしさ」という概念自体、それを作り出した根拠が失われつつある今となってみれば虚構であると言える。従って、その虚構を前提としてある一定のルールを作り出す行為そのものはヴァーチャル(仮想現実的)な行為であり、人為的にヴァーチャルなヴァナキュラー(地域性)を作り出す行為に他ならない。それは、意味的にはディズニーランド等のテーマパークとほとんど変らないものである。しかし、近代化により多くの地域性が根拠を失いつつある現在、ヴァナキュラーという概念自体がヴァーチャルなものであるとも言える。このように考えると、本計画において、風土に培われ町屋に結晶された知恵を再構築するという目的と矛盾しているように受け取られるかもしれないが、ヴァナキュラーが本質的に失われたわけではない。表層的な意匠表現としてのヴァナキュラーが、その表現手法の多様化によって見えなくなってしまっているだけである。しかし、それで街並みを混沌とさせるのに十分である事は現在の京都の街並みの状況が全て物語っている。純粋に商業目的としてのヴァーチャルヴァナキュラーではなく、実際に生活の場におけるヴァーチャルヴァナキュラーの持つ意味と可能性を、この事業を通じて考えてみたいと思う。
・まちなかに個性の8棟:朝日新聞(2002.12.18)
・「町並み」で家に付加価値:京都新聞(2003.12.5)
・建築家8名が街づくり競演:住宅流通新聞(2004.3.19)
・8teamの建築家が共演:ぴゅあはうす(2004.3.4)
・京都にふさわしい街並みとは:区画整理(2004.3)
・都市型戸建住宅への提案:家とまちなみ(2004.3)