F邸
従前地権者の意向により、原文では記載されている固有名称を伏せて掲載しております
出典:「異人館復興」神戸市教育委員会=編
住まいの図書館出版局 住まい学大系091




明治四〇年の建物。木造二階建、寄棟造桟瓦葺、外壁は下見板張オイルペンキ塗り。北野地区の典型的なコロニアルスタイルの異人館。

伝建地区の東縁に接する細長い敷地を持ち、敷地の東端に主屋が建ち、西は主屋に接して製菓工場がある。主屋は南北棟で西側中央に角屋が張り出し、角屋の北側に付属屋がつく。ベランダは主屋南面の西半部二階に設け、一階は玄関ホールになっていた。南面の一階にベイウィンドウ、東面の二階にオ−リエルウィンドウがあった。この建物は、快適な生活を行えるように内部を改装しながら住みこなしてきた異人館であった。

震災により建物が南に傾斜し下見板の一部が外れた。内部は居間・応接間の壁に大きな亀裂が入り、壁の一部は剥落し、床は不陸を生じた。被害でもっとも見る者を驚かせたのは、暖炉の煉瓦の煙道部分に生じた大きな亀裂が天井面まで達し、いつ崩れ落ちても不思議ではない状態だったことである。しかし、こうした被害にかかわらず十分に復旧が可能な状態で、なんとか修理してもらえないかと要請したが、震災後の混乱を避けてドイツに避難していたハインリッヒ・F二世がどうしてももう住みたくないという意思が強かったことと、工場も被災し工場の復旧を優先したことで修理費用の負担が無理だとして解体されることになった。

「F」はハンター坂に面したガラス張りのドイツパンの店の名。現在の社長はヘラ・F・上原さん。Fは、ヘラさんの祖父で、第一次世界大戦で捕虜として日本に連れてこられたパン職人のハインリッヒ・F初代社長が一九二四年に現在地の南隣で営業を始めたパン屋の名前。そしてこの初代社長のFさんをモデルにしたのが、前述のNHK連続テレビドラマ『風見鶏』である。これで神戸の異人館が全国的に紹介され、異人館ブームを引き起こすとともに、異人館を保存していくために、伝統的建造物群保存地区制定の動きへと繋がっていった。

北野の異人館としては、数少ないコロニアルスタイルであること、物語性があること、伝建地区から外れた異人館であること等を考慮して、震災の混乱にもかかわらず、なんとか残す方法を検討したが現地では無理と判断し、解体し部材として保存する方法を選んだ。解体の費用を要望するにあたって、どうしても市内で再建出来ない場合は、解体した部材を犬山の明治村に寄贈し、しかるべき時期に復元してもらおうと考え、日本建築セミナー事務局長の増田千次郎氏に紹介してもらい、平成七年七月二一日に上京し、明治村館長だった故村松貞次郎先生に明治村での保存をお願いした。先生はにこやかに話を聞かれて、神戸市がどうしても再建出来なくなったら明治村に移築しましょうと承諾してくださった。

今年、先生の訃報に接し、こうしたことがなければお目にかかる機会など考えられない方であったと、あのときのことを思い出し、感慨深い。

解体工事は、痕跡調査を行いながら平成八年三月から四ヶ月かけて行われた。部材から二つの番付が出てきて、あきらかに一度移築されたことが判った。また、小屋組みが短くされていることから、この地に移築するとき敷地に入るように切り詰められていたことも判明した。

北野にF邸の記憶を残そうと、震災の傷痕を見せていた暖炉から煉瓦を回収して、神戸華僑総会の敷地北側の煉瓦塀の一部に再利用した。この煉瓦塀は、景観形成小径に指定されている北側の小径の景観を構成する重要な伝統的建造物(工作物)であり、復旧にあたっては古い部材を使うことを考えていた。

現在、解体されたF邸の部材は神戸市の西区の倉庫で眠っている。

注)その後、F邸は北野坂に移築され、「北野物語館」として公開されている。北野物語館は、平成14年10月に国の登録有形文化財に登録された。



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