3.地域社会実態化に向けてのアクション・プログラム
■コトの始まりは各社会領域のフロント・ランナーたちの協働の企て
二十世紀の物質文明の時代は、富裕層の道楽にしか過ぎなかった自動車の量産化を成功させたヘンリー・フォードによって開かれたといっても過言ではない。それではマス経済社会と地域社会の棲み分けによる二十一世紀の多元価値社会の扉は、今度は誰によって開かれるのだろうか。少なくともそれは二十世紀の物質文明の扉とは異なり、特定の改革者や国の新たな制度などによって開かれるものではないだろう。
各社会領域が複雑に拡大・深化した現代社会を、人間を評価し、生活を上位に据える多元価値社会に向けて誘導できるのは、様々な社会領域にまたがる極く少数のフロント・ランナーたちの同志的結合による同時多発的なゲリラ活動でしかない。生活を基準としてあらゆる価値を判断する精神の確立が、少なくとも各社会領域に位置するフロント・ランナーのうちの数パーセントの人間に図られた段階で、彼らの発信する情報はスパイラル効果を伴って同質の人間の同志的結合を促進するようになる。
例えば、特定の地域の中に集積する地域産業の活性化を実現するには、意欲に燃えた三人の優秀な当事者が必要になる。産業活性を誘導する立場にある地方自治体の職員と、行政と地域と地域産業をつなぐコーディネーター、そして産業側の当事者である。この三つの立場に位置する三人の人間の同士的結合があれば、成果の程度の差はあれ、活動の一定の成果は必ず約束される。しかし、この三人の内の一人でも欠ければ、
途端にその計画の実現可能性は無いに等しいものになってしまう。
人間は他者に影響を及ぼすタイプと、他者から影響を及ぼされるタイプの二種類に分けることができる。そして、他者に影響を及ぼすタイプの人間の比率は社会全体の五パーセント程度でしかない。したがって、地域社会の実態化を企図する各社会領域の中の極くわずかのフロント・ランナーが同志的結合を図るだけで、地域社会の実態化を導く流れは一定の現実味を帯びるようになる。各社会領域に位置する各フロント・ランナーが協働して、自らが位置する領域と他領域との接合役(カタライザー)を担うのである。
そして、最終的に地域社会全体の実態化を導くことができるかどうかは、社会の各構成員が人間の実感に価値を置くヒューマニティの哲学と、社会への奉仕という精神を自らの心の中に築くことが出来るかどうかに掛かっている。特に地域に生きる生活者には生活規範の確立が求められるが、企業人も、地域産業従事者も、地方自治体職員も一方で生活者であることに変わりはない。そのような個々人の自我の確立によって、産業人は人間に奉仕することを絶対の目的とする産業活動を、地域産業は生活者に視点を据えた生活産業化を、そして、地方自治体職員は重層的な生活を担保するための地域社会の実態化を推進することができるようになる。
自分たちが動けば社会は変わるという信念が生活者に、産業人に、行政マンに根づくことによって社会は初めて変化の兆しを見せる。不条理な現実を常識のせいにして正当化してはいけない。自分がどの価値を大切にして生きていくかを選択し、問題を自らの生活信条に照らして解決を図る資質を養なうのである。人間を中心に据える社会においては、生活に貢献しない話はある意味ではすべて嘘でしかない。探し物はそこに無ければもはや何処にも無い。
フロント・ランナーたちの企てとともに、地域社会実態化に向けての前段の環境整備策として、あらゆる機会を通じて広く世の中に地域生活を中心とする多元価値社会の意義の啓発が行われなければならない。生活の実態化こそが地域社会と生活文化を育て、また、グローバル化の流れの中で猛威を振るうようになった"強いお金"から地域経済を守ってくれる。それを推進のための制度や金は、世の常として、生活と地域社会の実態化が図られた後にしか付いてこない。
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