■中間組織の実態再生の必要性
先に述べたように、個人と社会全体の間には数多くの中間組織が存在している。生活系では、社会組織の最小単位である家庭と、その家庭が集積する地域社会がある。またビジネス系では、企業などの営利目的の組織や、地方自治体などの非営利目的の組織などの様々な組織体が存在している。そして、現在我が国を覆っている、社会全体の健全な成長と推移への期待を紡ぐことが出来ない無力感は、実はこのような様々な中間組織の実態の希薄化によってもたらされていると考えられる。過度の経済効率追求を続ける経済一元化体制は、消費者である生活者との間に存在する多くの中間組織体を単に非効率な存在として、その主体性を奪い取ってしまった。
そして、全体と群と個の三者の間に拡がる意識の断絶は、政治や産業を自己目的化の道に突き進ませることになり、更には、実感を持って全体を把握できなくなった個の焦燥感を募らせることになっていった。昨今、新聞紙上を賑わせた核燃料加工会社であるJCOの臨界事故や、乳業会社のずさんな製造管理による食中毒事件、更には警察組織の度重なる不祥事などは、個と断絶し、社会からはぐれた中間組織が必然的に辿る自己目的化の道の中で生じている。
企業の存在意義の基本はパブリック・サービス(社会への奉仕)にある。したがって、あらゆる構成要素の基となる人間に焦点を当て、そのありようや望ましい変化の方向に洞察を加えることによって、産業の次なる生産目標は明らかになる。"生活"を短絡的に販売対象として外部経済化の促進を図るような自己目的化した企業活動は、生活実態を希薄化させ、最終的に自らの活動目標さえも喪失させることにしかならない。また、社会と組織と個人をつなぐこうした因果関係は地方自治体などの非営利団体であっても当然同様に存在する。
一方、地域の側もマス経済社会体制の拡大こそが自分たちの豊かさを保障するという幻想から目覚めるべき時を迎えている。いつまでも生活から大きく乖離した、遥か彼方のマス経済の動向に一喜一憂したり、企業の責任を無責任にあげつらうのではなく、自らの努力によって生活系の中間組織である家庭と地域社会の再生を図り、生活の主体性と地域の自主性を取り戻さなければならない。
そうした各社会領域に位置する各個人が自らの精神の自立性の回復を図り、そして自らが所属する組織の実態性の回復に努力することによって、希薄化した中間組織は再び社会の中での位置づけを回復することができるようになる。中間組織こそが個人と社会全体とをつなぐ生活向上のためのプラットホームなのである。そして、その中でも特に地域社会の実態化は、全てを担い得ないマス経済体制との棲み分けを可能にし、多元価値社会の基本となるマスと地域との二重構造社会創出に大きく貢献することになる。
負荷を減らすことによるマス経済社会の機動力回復と、市場経済に振り回されない自立した地域社会の創造によって生まれる二重構造社会こそが、二十世紀の嵐のような進歩の時代の次に私たちが目にすべき二十一世紀の社会なのである。地域に基盤を置くもう一つの社会の実態化に向けて、企業人、生活者、地域産業従事者、更に地方自治体職員などの各社会構成員は、自らが所属する社会領域の実態化と相互の関係性の回復に努めなければならない。
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