第1節.生活と地域生活文化
1.地域生活文化はどのようにして生まれるのか
■生活文化は生活の阻害要因を克服しようとする人間の知恵の結晶
私は豊かな濃尾平野に位置する愛知県の名古屋市で生まれ育った。名古屋で生活しているとき、「名古屋は偉大なる田舎で、文化不毛の地。」という意味の言葉を時折耳にしたが、私にはそうした発言の根拠が理解できなかったし、そのような発言にある種の腹立たしさも感じていた。しかし、社会人になって関西で暮らすようになったとき、関西との比較の中で私は初めて名古屋のまちの文化性の希薄さを思い知るようになった。
京都のまちの高い文化性や哲学性。そして町家に凝縮される高度な文化的技術。大阪の芸能や食の文化。阪神間の高質な住環境。関西の何をとってみても名古屋にはないものだった。名古屋にあるものといえば、広い道路と都心の無機質なビルディング街。コンクリートで固められた名古屋のまちには「白いまち」という呼び名さえあった。この名古屋のまちと関西のまちの圧倒的に異なる文化的風土の差は、一体何処からもたらされているのだろうか。それは、地域の中での生活に制約を与える要因の有無にあるのではないかと考えられる。
ウナギの寝床と呼ばれる京の町家には、夏は暑く、冬は寒く、且つ狭い京都盆地の中で高密に集住することを可能にするための京都人の知恵が凝縮されている。阪神間の高質な住環境は、六甲山と海の間の狭い土地を精いっぱい評価し続けることによって結実している。つまり、地域が抱える必然的な生活の制約要因を克服しようとする人間の知恵の歴史が集積して、最終的に地域生活文化として醸成されているのである。
一方、名古屋のまちはどうかといえば、広大で肥沃な濃尾平野の中に位置し、生活に制約を与える地理的な阻害要因は何処にも見受けられない。時折、名古屋に帰って友人の家を訪ねると、市内の百坪ほどの敷地にマイホームを建てているのだが、住宅の前面の庭らしき広いスぺースには木立一本植えられていない。関西人になって既に久しい私が「庭を綺麗にすることを少し位考えないのか。」と尋ねると、その友人は何故そんなことを言うのかといわんばかりに不思議そうな顔をする。猫の額ほどの狭い土地に精いっぱい環境を整えて生活に潤いを与えようとする関西人には信じられないが、広大な濃尾平野に住む名古屋人には百坪くらいの敷地など珍しくも何ともないといったところなのだろうか。
肥沃な濃尾平野に位置する名古屋には豊かなる不幸がある。空間的な広がりと文化的密度の高まりは反比例の関係にあり、濃尾平野の広さと肥沃さが地域生活文化が結実していきにくい環境を生みだしているのだろう。地域の生活文化は地域が必然的に抱えている克服すべき生活阻害要因としての地理的、気候的条件を乗り越えるための知恵と努力の積み重ねの歴史の中で結実していく。したがって、克服すべき生活阻害要因を見いだしにくい地域においては、豊かなる不幸として生活文化は芽生えにくいということができる。
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