■家庭生活のあり方が占う社会の健全性

 世の中で起こるあらゆる社会現象の源流は全て家庭にあるといっても過言ではない。道徳観や善悪の基準、更に生活文化といった人間として生きる規範は、全て家庭生活の中で培われる。まさに、健全なる精神は健全なる家庭に育つのである。したがって、平均的な家庭環境の質がどのレベルにあるかによって、成長する子供の資質は自ずと決まり、また、最終的にその国の民度も決定される。

 我が国の平成十一年度版青少年白書は、「諸外国の青少年との比較を通しての日本の青少年の意識」という章のまとめを次のような言葉で締めくくっている。「我が国の青少年には、社会の基本的なルールを遵守する意識が揺らいでいる傾向や、社会への貢献意識の低さ、他者との関係を円滑に進めることが不得手なことなどの特徴が見られる。(中略)しかしながら、二十一世紀の社会を担っていく青少年に規範意識や社会性の低下傾向などがうかがえることは憂慮せざるを得ない状況である。この問題は、青少年自身の問題にとどまらず、青少年をはぐくむ環境としての社会全体の風潮、基本的なしつけを担当する家庭の役割あるいは地域社会の問題など、我が国社会全体のあり方に関わる問題として考えていくべきである。 

 家庭については、青少年の健やかな育成には、親子の対話、基本的生活習慣の習得などが重要な意味を持つ。社会生活上の基本的な生活習慣やモラルといったものは、第一義的に家庭の責任において行われるべきものである。今日、特に父親が家庭で果たすべき役割や職場優先の考え方について、国民一人一人が自らに問い直していく必要があろう。また、家族形態の変化や地域社会のつながりの希薄化などの中で子育てに十分な知識や助言を得られず自信を失っている親達をいかに支えていくかを考えていかねばならない。」

 夫妻は共稼ぎ、子供は受験戦争。このような各構成員の仮の宿と化した出来合いの家庭から一家団欒の風景が失われて既に久しい。しかし、本来、家庭での子供に対する躾けは、次世代の社会人としての基本的な資質を育み、更には家庭に伝わる生活文化を次代に伝える重要な役割を担っている。

 家族そろって食卓を囲むということに代わって、現在では個食が普通の食事環境になっている家庭が多い。しかし、冷凍食品が中心の個食では家庭に伝わる食文化が次世代に伝えられることはない。魚や野菜の名前、その調理方法、またそれらの旬はいつか。食卓を囲んでのそうした何気ない会話が家庭に伝わる生活文化を次世代に伝えてきた。図鑑などで魚の名前を知識として覚えても何の役にも立たない。魚屋に並ぶ魚の調理法方が分からない。かといってそれを尋ねることもはばかられる。そうした理由からスーパーにしか行かない若い主婦は多い。また、スーパーに並ぶ魚の切り身しか見たことのない子供の中には、切り身が海を泳いでいると思っている者もいると聞く。

 まちづくりに関するあるワークショップの席上で、「私が家事で忙しくしているときに、子供が勉強を理由にして家事の手伝いをしないことなど許さない。家の中で母親の家事を手伝うこと以上に大切なことなど何もない」と述べた女性がいた。家庭で学ぶ社会のありようや人間関係のあり方、善悪の判断基準、モノの意味や使い方、絵画や音楽などを楽しむ心の醸成。人が人として社会で生きていくための素養は、本来全て家庭の中で培われてきた。確かに、それ以上に大事なことなど世の中には存在していないともいえる。

 家庭生活を何も実感せずに育った子供が世の中に出てどのような行動をとれるのか。買い物一つ例にとっても、何を判断基準にして買物をするのか。したがって、生活の希薄化によって産業社会は生活体験の乏しい消費者をターゲットとせざるを得なくなり、消費構造に関して極めて実態の乏しいバーチャルな需給関係を生みだしていくことになる。家庭の崩壊は成熟し得ない大人を社会に大量に放出することになり、最終的に我が国の生活文化や、更には産業をも希薄なものに変えていくことになってしまう。


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