■足るを知る心の育成
文化は生活の堆積の歴史の結果として醸成される。したがって、世の中が激しく動く生活の混乱期には成熟化の動きを止める。生活文化は社会の安定状態の中でしか成熟していかない特徴がある。日本の文化首都としての京都のまちの歴史に支えられた文化性も、京都が持つ変化を望まない哲学の下に培われている。仮に、京都が政治経済の中心地として日本の首都的位置づけにあり続けていたとしたら、私たちが現在目にしている京都のまちの文化的な姿は維持されていただろうか。東京のようにはならないという保障はあっただろうか。
私たちが個人主義と資本主義の成熟化の流れの中で身に付けたものの一つに、"変化を望む心"が挙げられる。旺盛な権利要求と経済べースでの自己実現欲求。それは私たちに「今日とは違う明日」、「明日は今日より素晴らしい」という考え方をもたらした。変化が当たり前で、変化しないものは古くさいものでしかない。この考え方に基づいて自分にも、生活にも、社会全体にも進歩は当然の要求として掲げられた。
二十世紀に入るとき、地球の人口は二百万年の時間の経過の果てに十六億人にまで達していた。それが、それからのたった百年の間に四倍の六十億人にまで増加している。それは農業生産技術の向上や産業革命などの様々な科学技術の進歩のおかげだが、しかし、そういった輝かしい人類の成果さえも今では地球の危機的状況を招いた元凶という位置づけに転じようとしている。
人類誕生以来、二百万年という膨大な時の流れの果ての今日という時点に現代の私たちは存在している。したがって、その同等の時間を未来の子孫たちに約束する義務が私たちにはある。その永遠の時間の流れの中の今という一瞬を生きる私たちが為すべきことは何か。
一般的に、日本の家系は先祖を三代たどることが難しいと言われている。曽祖父が誰かが分からないのである。たまたま、私の家は祖父の代まで淡路島で醤油の醸造に携わっており、祖父は八代目忠三郎を名乗っていた。したがって、私の曽祖父は淡路島で醤油の醸造を生業としていた七代目忠三郎ということになるが、実際にどのような人物だったかは今や私を含めて誰にも知る由もない。
同じことを自分自身に当てはめてみると、私には一人の娘がいるが、この娘の孫が私から数えて三代後の子孫ということになる。そして、私が曽祖父という人間を実感をもって認識できていないように、私が生きてきた存在の証しをこの曽孫が認識するすべはないということになる。つまり、私が地球上に生きてきた証は後に続く二世代で消滅することになる。このことをどのように捉えるべきか。
若いときに生きる意味とか自分の存在意義とかに拘る人間は多い。しかし、永遠の連続性の中の今という瞬間に生きる自分たちが為すべきことは何か。社会の中での明確な存在意義の具体化欲求は、往々にして永遠の時の流れに棹をさすことにもつながっていきやすい。過去から現在を経て未来につながる時の流れは永遠の地平線上にある。そして、それはどんなに社会が進化しようと、決して生活からも地平からも乖離していくことはない。したがって、その地平に瞬間的にしか生を受けていない一個の人間が永遠の流れに対して変化を企てるべきではない。
現代社会においては変化は技術的・経済的エネルギーによって極度に増幅されやすく、たとえ始まりは僅の企みであったとしても、そのような行為の集積は最終的には地球全体の未来の永遠性の否定につながる可能性が高い。向上という欲求は自らの内的な文化性や哲学性に留め、具体の生活に変化を求めるべきではない。"足るを知る"という言葉を戒めとする淡々とした生活の積み重ねの上にこそ生活文化は花開き、そして永遠の地球(サステナブル・アース)は約束される。
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