3.地域社会の変化
■地域経済の弱体化、下請構造化
東京を頂点とする経済の一極集中化の動きは、スピ−ドを速めながら先鋭化し、高度経済成長の進展と共にあらゆるものを巻き込みながら、巨大な財と情報とサービスの一元的循環システムを作り上げていった。商品開発、生産目標の設定、仕入れ、消費者情報など、産業活動のあらゆる指針は東京が握っており、何をするにしても東京に聞かないと分からない。そして、その東京一極の経済システムの更なる強化と効率的展開を側面からサポートしたのが、これもまた東京を情報発信基地として全国を一元的にカバーするマスコミ産業だった。
まさに規模の経済の時代であり、東京を中心とする効率的な一極集中経済システムによって大手企業は更に巨大化し、逆に、そのシステムに参入するための資本と組織規模を有していない地域産業は、驚異的な経済成長の時代にありながら、大手企業の下請けとなって巨大システムの末端にブランチするか、もしくは衰退、廃業するしか取るべき道は残されていなかった。
純化しながら強大化する東京一極の経済システムの前では、他の循環システムの併存などは許されず、地域を単位とする生産規模や流通規模にしか過ぎない製造、流通、販売などの地域産業の産業ネットワークはことごとく寸断されてしまった。そして、地域の製造業、伝統産業、地域商業は、たとえどんなに突出した技術やノウハウが有ろうとも、為す術もなく自立性を弱めながら衰退していった。
商店街や地場製造業の活性化の必要性が叫ばれる中、その為の課題として挙げられるものの中に、必ずといってよいほど後継者問題がある。しかし、子供が後を継がないという問題も、よく聞いてみるとそれは子供側の拒否によるというよりも、むしろ親側の考えによることの方が多い。親が自分の家業の存続や地域産業の未来を信じることができず、無力感とともに子供に企業への就職を勧めているのである。高度経済成長期における、外部資本の量と組織の論理に立ち向かう地域産業の戦いは、まさに徒手空拳の戦いだった。
一方、消費者である地域生活者はこの戦いをどのように眺めていたのかというと、生活者たちはこの両者の戦いをいたって第三者的に、ただ単に他人事として眺めていた。いや、それよりもむしろ、利便性を評価して外部経済を支援する向きが多かったのではないか。行政に自らの保護を訴えるばかりで、地域生活者の支援を取り付けることができなかった地域産業側の戦略の失敗である。
地域生活者と地域産業は共に地域を共有してはいるが、共存関係にあったわけではない。それは単に背中合わせの併存関係でしかなかった。しかし、地域経済に対する外部経済の圧倒的勝利は、結果として地域生活者に全国一律の画一的生活を強いることになった。更にそのことだけに留まらず、地域産業側の敗北は、地域における雇用機会の喪失、地域経済全体の地盤沈下、次いで地域居住環境の悪化と、地域生活者に二重、三重のツケを負わす結果を招くことになってしまった。
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