建替え前の建物である渦森団地17号館は、市の住宅供給公社の開発による渦森団地全20棟の中の1棟で、地震によって建物の中程にあったエキスパンションジョイントより西側の部分の杭頭が破損し建物が傾いていました。しかし、建替と補修の間で住民の意見が2分化しており、収集がつかなくなった状態で住民から相談をもちかけられました。この時点で震災後約1年経っていましたがほぼ全員が居住し続けていました。
最初にすべての居住者の意見を個別にヒヤリングし、分析しました。
建替派と補修派の意見の対立をまとめると、
- 個々の経済状況による対立
- 個々の思想・社会背景による対立
一般的にはこのような対立関係に至るとき、個々の経済状況による対立だけが原因とされることが多く、現在の法体系もそれに促した形で体系化されています。しかしながら、実際の所はむしろ思想・社会背景による対立が存在し、それが主要因となっている場合も多いのではないでしょうか。
渦森17号館には構造的な安全性に対する考え方の違いが存在し、これから個々の思想・社会背景による対立が派生していました。代表的なものとして次のようなものがありました。
@生活設計が崩れる
当初予定していた人生設計がこのまま暮らせば可能なのに、それを犠牲にしてまで建替える必要性を感じない。
A建物の資産価値という考え方になじめない
住まいは生活の場であって証券ではない。その価値を増す為にスクラップアンドビルドをすることは環境保護の視点から見てもおかしい。
B家族に病人を抱えており、体力的に仮住まいに耐え切れない
しかし、反対者との度重なる話し合いの結果、公正な条件の下で決議がなされるのであれば、共同体の一員として決議を尊重するという決意を引き出す事ができました。
このヒアリングの内容と、並行して行った構造調査の報告、選択できる進路を中立的な立場でまとめ、すべての人に平等に状況が確認できる状況を作り、それをもって方針決議を行いました。これは反対者の持つ、「情報が偏っている」とか「一部の扇動者に引っ張られ建替え気分に流されている人が多くいるような気がする」といった不満と、本当に状況に流されている人に実状を充分に認識してもらい、個人の責任で判断してもらう為に行いました。
方針決議では建替方針が可決されて、その後は建替決議にむけて進めていくことになりました。その結果、建替決議時には50軒中42軒が建替え賛成で8軒が反対でしたが、反対者も決議を尊重し、約1週間程度で全員合意に到る事ができました。
これは、反対者の意思を出来る限り尊重し、情報の平等化に細心の注意を払った 事が評価されたのだと思われます。最終的には反対者全員が事業に参加し、再びこの場所に戻ってくることとなりました。
平成8年7月上旬 | 建物の構造調査を行う | |
7月上旬〜末 | 入居者に個別ヒアリングを行う | |
7月末 | 方針決定決議に向けての資料作成を行う | |
9月上旬 | 方針決定決議を行う | |
9月中旬 | 建替決議に向けての事業計画案作成(基本設計) | |
9月下旬 | 事業代行者・建設会社決定(コンペ) | |
12月中旬 | 建替決議を採択 | |
平成9年 1月上旬 | 住戸内プランの打合を個別に始める | |
3月上旬〜 | 各住戸の打合わせを終え、実施設計を始める | |
3月下旬〜 | 解体工事着手 | |
5月中旬 | 実施設計設計終了 | |
7月上旬 | 建設工事請負契約・着工 | |
平成10年7月中旬 | 建設工事終了(竣工) | |
8月中旬 | 引渡・入居 | |
完成した建物の前で記念写真を入居者全員で撮影。2年半の苦労が実り、新しい生活の始まりです。
この建替事業にあたっては大規模団地の1棟の建替ということで、団地内環境を考慮した増床計画を行いました。 17号館は北・東・西と3方道路に接し、また北側の敷地が高いなど法規制上、他敷地に比較して計画しやすい敷地でしたが、敷地条件に係わらず、すべての棟で同規模の建替が可能となる計画を行う様配慮しました。
プランについては、希望アンケートに基づき標準プラン及び2つ程度のメニュープランを作成し、従前居住メの人たちと協議して細部を決定していきました。その結果バリエーション豊かなプラン構成となり、ほとんどの方が希望する間取りを選択することができました。また、震災で被災したマンションの建替えであることを踏まえて構造設計を行ないました。