2節.生活の実体化の支援
1.まちづくりは住民が主人公か
■一枚岩になれる構造にない"地域"
「地域の声」とか「生活者の声」という言葉を耳にすることは多い。社会の基本をなす家庭や、その集積である地域に目線を合わせて計画を組み立てることは確かに重要なことである。しかし、それでは"地域"とは具体的に何処のことを指しているのか。具体的にどういった集団のことを指しているのだろうか。
企業組織などとは異なり、生活者が集積する"地域"は特定の組織目的をもって集積しているわけではない。地域商業の活性という組織目的を共有できるはずの商店街組織にしても実際はいたって平面的な個店の寄り集まりにしか過ぎず、組織目標の定立とそこに向けての統一の取れた組織的行動を望むことは難しい。強力なリーダーの存在によって強い結束力を発揮しているまちづくり協議会も無いわけではないが、組織化の論理には具体の目標設定が必要であり、それをいたって漠とした生活にどのように求めていくのか。些か極論のような感もなくはないが、生活者には組織化に向かわなければならない必然は薄い。
「まちづくりは住民が主人公」という言葉もよく耳にする。しかし、それは結果においてそのような自覚に至ることが期待されるべきであって、住民が最初から結束して事に当たるべしと捉えるべきではない。住民の自主的な結束(コミュニティ)が前提とされるような施策提案が行政から行われることがある。既存地域団体などを通じてそのことを伝え、結果、地域がまとまらないからといって、地域サイドの結束力の無さを理由にことを済まそうとするケースは決して珍しくない。そのような役人は地域の結束を住民の義務のように言うが、地域住民が納得する結束の必然性や結束できる環境が何処にあるというのか。
阪神淡路大震災の後、住宅の共同再建の案件が多く発生した。その多くは単独再建では倒壊家屋が接道条件などの建築基準法を満たすことが出来なかったせいによる。地方自治体もそのことを強く誘導しようとしたが、それでも共同化は思う程には具体化しなかった。しかし、私にはそれ以上に注意を引く出来事があった。それは、各住民の意見を調整して共同再建をまとめるという、難易度の高い役回りを一手に引き受けてきた(引き受けざるを得なかった)リーダー役の住民が、住宅が完成する直前に自分の持ち分を売って出ていってしまうことだった。
そうしたケースを何度か目のあたりにしたが、彼らの発言は異口同音に同じだった。誰でも良い条件で新居を持ち直したい。しかし全員が同じ主張をしたら共同再建は不可能になってしまう。そこでリーダー役の住民が一方的に貧乏くじを引かなければならないはめになってしまう。「こんな我がままな隣人たちと再建完了後も一緒に住み続けていくことなどもはや考えられない。私は誰にも言わず完工前に自分の持ち分を売って出ていきます。」「反対している人間がうらやましい。反対しているかぎり、賛成派はどんどん良い条件を提示せざるを得ない。上げ膳据え膳で再建が進んでいく。」
賛成があれば反対もある。どうせやるなら少しでも良い条件を確保したい。お互いの権利関係が輻輳する中での住民同士による共同化という行為が既存のコミュニティを壊してしまったのである。自宅の再建が具体化していき、皆が徐々に元気を取り戻していく中で残念そうにうつむくリーダー役の人たちの後ろ姿を私は忘れることが出来ない。
地域コミュニティが未成熟な我が国の現状の中で、住民や地域産業従事者の結束という幻想を前提に物事を進めようという発想は何処から出てくるのだろう。現状において地域は一枚岩ではない。従がって地域には顔がない。交渉する当事者が存在していない。そうした地域を実態あるものにしていくためには、前段の環境整備策として、地域コミュニティが結実に向かうための重層的な興味参加型のコミュニティチャネルの開発が行われなければならない。そうした前段の整理に向けて地方行政の地域コミュニティ実態化計画はしたたかさを持って構築されなければならない。
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