■情報とは何か

情報は「情けを報じる」と読むことができる。つまり、情報は単なる事実の伝達に留まらず、事実に人間の意識という属人的な要素が加わって情報になる。情報にはそのようなヒューマンな属性を備わっていると考えられるため、一般的に言われているほど簡単に流通することはない。関心領域は同じであっても、その問題に対する理解の仕方や認識の深さが異なっていれば、両者の間を流れるものが情報となることはない。

二者の間を情報が流通するためには、その事実に関するお互いの問題意識のレベルの近似性が重要になるのである。このように、情報はローテク型とも呼べる体制の下で受発信される、極めて属人的な要素の強い流通システムであるということができる。

 コンサルタントという職業柄、「そういった情報は何処に行けば手に入りますか」という聞き方をされるときがある。まるで情報を固定した商品のように捉え、その流通経路を知ろうとする。しかし、情報はそのように簡単に誰にでも受け渡し出来るようなものではない。ある問題に関してより高度な情報を手にしたければ、自分自身がより高度な情報を発信できる資質を備えた人間にならなければならない。

 現在の社会は情報化社会であるといわれている。確かにマスコミやコンピューター技術は極度に発達し、情報的なるものの流通量は飛躍的な増大を続けている。しかし、その膨大に流通している情報も、それを情報として感知できる受信者が居てこそはじめて"情報"になる。果たしてどれだけの情報が"情報"として流通を完遂できているだろうか。都市がある一定の規模を超えて成長できないのは、お互いの精神的属性と認識レベルを感知しあえるヒューマン・ネットワークの限界性によるという説もある。

 社会人として生きていくためには、知識や情報収集能力は不可欠な要素である。しかし、情報は個人が持つ知識の普遍化能力や哲学性に深く関わっている。自己の信念が希薄な人間は、情報バブル社会とも呼べる情報洪水の中で、自らの不安定感を情報によって払拭しようとする。しかし、情報を普遍化する能力の低い人間の過度の情報摂取は己を見失うことにしかならない。

 高い情報受発信力を備えた魅力的な社会人になるためには、エモーショナルな思想を構築できる資質を自らの中に築かなければならない。そして、社会を観察する中で自分自身が興味を持てるテーマを育て、その問題意識と解決のための方法論を外部に対して発信できるところまで高めなければならない。その過程において問題意識を共有する同志が生まれ、結果として彼らとの間に真の情報が流通するようになる。このように、情報は同質の同志を不思議なほど簡単に発見してくれ、結束を促してくれる優れた副次的効果も備えている。



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