第4節.しなやかに生きよ女性企業人


1.男性論理の社会に生きるということ


■社会の価値観は男性論理で構成されている

 戦争裁判を例にとるまでもなく、ある時代の常識や価値観はその時代に強者の側に立った人間の価値観や行動様式で構成されている。強者の論理こそが時代の正義であって、弱者の側に立った人間の考え方には間違った論理という位置づけしか与えられない。

 明治以降、我が国は欧米をモデルとした近代国家を目指して国づくりを進めてきた。モノづくりは男性が最も得意とする分野であり、国を作るという行為は男らしさを標榜するに最たる所作であったといえる。特に、戦後の荒廃した国土を再び蘇らせるという作業は、政治の分野にしろ、経済の分野にしろ、まさに「男子の本懐」であったことだろう。そして、そのような社会環境の中で社会全体に培われたのが男性論理に基づく社会常識だった。

 男性論理に基づく現在の産業社会は、論理的、理想主義的、そして形式的であり、人間の実感とは殆ど無関係のところに存在している。男性には、自分自身の主観を全く介入させず、机上の理論だけを拠り所に物事を進めることが出来る特徴がある。その最たる例が組織に対する滅私奉公の思想であろう。江戸時代においては藩のため、戦争中は国のため、そして高度経済成長期においては会社のために、私心を捨てて組織に殉じるのが男の美学だった。男はいつの時代も義のために生きてきた。

 一方、女性の論理はそれとは対照的に、個人の実感に基づいて構成されている。自分自身の経験則に基づく実感の範囲が思考の範囲なのである。したがって、戦後の経済社会が急速に拡大した時代には、女性の実感はその拡大する領域とスピードになかなか追いついていくことができなかった。そのため、自らの実感の範囲にしか留まることができない女性は、資本の論理に基づく無機質な拡大再生産の流れの中では、いたって生産性の低い、取るに足らない存在として軽んじられ続けてきた。


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