■男性論理と女性の実感のパワーゲームの行方

 社会における男性と女性の位置関係は、社会の安定度、完成度に深く関係していると考えることができる。戦後、荒廃した国土の復興を命がけで推進してきた男たちも、社会が一定の成熟段階に達するとともに、そのエネルギーは弱体化し始めた。そして、その流れに反比例するように自信を深めだしているのが女性である。

 男性と女性の適性能力分野の違いを一言で言い表せば、男性はモノを作り出すことに生き甲斐を感じ、女性はそれを管理することに適性を発揮するということになろう。戦後半世紀を越えて社会が一定の成熟段階を迎えたにも関わらず、いまだに真顔で語られている都市の開発などという論理は今やリアリティの乏しい夢物語になろうとしている。社会の完成とともに作るモノが無くなってしまったのである。そして、モノづくりの論理に変わって重要性が増し始めているのが、"管理・運営"というテーマである。二十世紀の嵐のような開発の時代を過ぎて、社会は持続可能で、人間にとって快適な維持・管理のあり方を模索しはじめている。

余談ではあるが、私は、社会の変化の状況を確認するための一つの方法として、男性と女性の社会における位置関係の変化にも注意を払うようにしている。そして、その両者の位置関係の変化を認識するための幾つかの尺度の一つに、性の開放の流れがある。

昨今、フリーセックス、不倫、果ては女子高生の援助交際問題と、性の開放に伴う問題がマスコミを賑わしている。そして、このような性の開放の流れはどのように引き起こされているかといえば、それは男性の手によってではなく、実は女性によって引き起こされていると私は考えている。男性主導の性は、かつての妾の世界に代表されるように、二人の間だけの閉ざされた関係を作るためフリーセックス型にはなりにくい。それに対して、女性の性はある意味で本来開放的であり、女権の伸張はそのまま性の開放につながっていきやすい。性の開放の流れは社会における女権の伸張の流れでもあるということができる。

 若年男性の自信の喪失、その裏返し現象としての他人に対する異様なまでの優しさ。誰彼なく優しくさえしていれば皆が守ってくれるとでも考えているのだろうか。そして、揺れ動く企業社会の中での中高年男性の自信の喪失。この国の中で男性がアイデンティティを発揮できる場所は何処にもなくなってしまったように見受けられる。

それに引き換え、オフィス街を自信に満ちて大股で闊歩するようになった女性たち。こうした男性と女性の存在感の逆転現象は、日本の国全体が建設期から安定運営期にシフトしたことを如実に物語っている。あるシンポジウムの席上で、「もはや企業社会は女性の能力を活かしていくといった段階ではなく、女性にすがって生きていかなければならない時代を迎えている」と述べた経営者がいた。この話が極論かどうかはさて置き、時代はモノづくりというハードで無機質な男性論理中心の段階から、人間(利用者)の快適性の確保を目指して社会の維持・運営を司る、女性の実感の時代に既にシフトを完了している。


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