■資本主義経済システムとは何か

先に述べたように、資本主義経済システムは人間の自由と平等を保障しようとする民主主義とは異なり、人間の幸せに貢献するために存在しているわけではない。その目的は限りない利潤の獲得に尽き、そして獲得された利潤は何か特定の社会目的のために活用されるわけではなく、再びより多くの利潤獲得のために再投下される。資本主義経済システムとは、このように極めて自己目的的で独り歩きしやすい存在であって、その無限の貨幣追求システムは、豊かさを求めて一時期は協調関係に在った同胞(企業やその従業員)をも、自らの成長過程の中で順次駆逐していくことになってしまう。

 資本主義という経済システムは、封建制度の後をうけてヨーロッパに誕生した。そのせいかどうかは分からないが、恒久的な存続を前提とする我が国の伝統的な商家の運営方法とは異なる、この新しい経済システムに依拠する会社という組織構造と、キリスト教の組織構造の間に私はあの種の近しいものを感じている。キリスト教社会においては、社会の頂点に立つものは神(キリスト)であり、その下位に位置する人間とは規範に基づく契約によって支配関係にある。そして、ヨーロッパにおいては自然は厳しく、征服すべきものであり、人間はその自然の支配を許されている。このように、キリスト教社会は神を頂点として人間、自然と続く三角形ピラミッド構造の支配・被支配関係によって構成されている。

 そして、この三角形のピラミッド構造と同一の構造にあるのが企業組織である。企業組織においては三角形ピラミッドの頂点に立つものは社長であり、社長は社員を雇用という契約関係で支配し、そして社員はマーケットの支配に日々努めている。両者に共通して言えることは、三角形のピラミッド構造を持つ組織を安定させるためには、三角形の底辺の連続的な拡大が不可欠ということである。このことが両者の組織構造だけでなく、その性格をも近しいものにしている。そして、連続的な底辺の拡大は、連続的な頂点の上昇(立場の向上)と組織全体の拡大を約束する。

 その底辺の連続的な拡大を持続させるために、企業社会は、限りないマーケットの拡大を求めて人間の消費欲をかき立て、新商品や新たなサービスを次々と提供している。このことは、一方で地域や家庭に伝わる伝統的なコミュニティーを崩壊させ、地域に根付いていた生活文化をも駆逐してしまうことになる。

 キリスト教社会は、宣教師によって世界中に布教活動を拡大させ、地球上のそれぞれの地域に根付いていた原始宗教や生活様式を一括りに野蛮なものとして駆逐していった。まさに「生めよ。増えよ。地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地をはう生き物全てを支配せよ。」(創世記一章二十八節)であり、主イエス・キリストの宣教の大命令、「全世界に出て行って全ての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。」(マルコの福音書十六章十五節)である。

このように、ともに限りない拡大を前提とする組織ではあるが、その違いを挙げるとすれば、そうした行為の上位に位置すべき行動規範の有無に求めることができよう。キリスト教においては広めるべきは神の教えであり、人間としての生き方の規範である。一方、会社が求めるものは利潤であり、限りない貨幣追求にこそ正義がある。そこでは、人間としての行動規範の確立は、組織本来の目的を達成する速度を鈍らせる非効率なものとしてさほど問題にされない。

資本主義経済システムとは、ヒューマニティに依拠することなく、自己増殖だけを目的とする、いたって無機質な経済システムであり、その担い手である構成員(会社)は繁栄と衰退を繰り返す栄枯盛衰の必然の流れの中で順次入れ替わっていく。しかし、そのような実態であるにも関わらず、その構成員は一見非効率に映る哲学としてのヒューマニティや行動規範などには何の価値も認めず、効率的と信じる短絡的な方法でただひたすら無限のマーケットという幻想に向かって歩みを続けている。


TOP 戻る 次へ

2001 Shigeru Hirata All rights reserved.
Managed by CUBE co. ltd
.