2.生活文化の性格を決定づける地域の必然
■時の長さが与える影響
生活文化とは地域における生活の堆積であり、そして生活は地域の影響を色濃く受ける。それでは、生活や生活文化のありようにこのような大きな影響を与える"地域の必然"とは一体何だろうか。先に述べたように私は名古屋の出身で、社会人になってから関西にやって来た。このよそ者の第三者的な目で、関西の代表的都市である京都、大阪、神戸、そして私が今住んでいる芦屋のまちを例にとりながら"地域の必然"というものについて考えてみたい。
地域は誕生の仕方と、誕生から現在に至るまでの歴史の長さによってその性格は必然的に決定づけられる。京都のまちについては今更説明するまでもないが、千二百年に亘って途絶えたことの無い生活の連続の歴史が生活上位の価値観を確立させ、そして王城の地が生みだす高い文化的産業技術と相まって、非常に高質な生活文化を結実させた。こうした一般的に言われている京都の評価以外に特筆すべき点として、私はこのまちのあるべき未来像についてのブレの無さという点を挙げたい。
かつて我が国がバブル経済の熱で沸き返っていた頃、京都のまちでは「保存か開発か」という問題が盛んに議論されたことがあった。しかし、それは概ねマスコミを中心とする外部の意見であって、京都の中では保存を前提にその先に未来を見通すというところに殆どのコンセンサスがあったように見受けられた。
このまちには"変わらない"というところに圧倒的なコンセンサスがある。したがって、京都のまちにとって未来は可変ではない。ピンポイントのように些かのブレもなく未来は確定している。そして、それは千二百年という時間の長さによってもたらされている。千二百年という長大な時間のベクトルの延長線上に位置する未来はもはや点でしかない。そこには議論の余地もなく、些かのブレもない確定された未来が存在している。
そして、それとは対照的なまちの例として神戸のまちを挙げることができる。開港百年余りの歴史しか持たない神戸の未来は可変性に溢れている。過去から現在に至る時間のベクトルの短さが未来を変化の可能性に溢れた未知なるものにしているのである。したがって、変化に対する理解には極めて柔軟なものがあり、山を開いて海を埋める、未来都市を目指す類い稀な地方自治体による都市の経営も、歴史的基盤によって確立された地域のアイデンティティを持たない、明るく付和雷同的、拘りの少ない神戸っ子気質を背景に強力に押し進めることができた。
変わらない古都と未来に溢れる神戸。しかし、近代化の流れの中で経済社会の仕掛ける流行社会に慣れた現代の日本人が、この二つの都市のどちらに魅力を感じるかは論を待たない。このたった百年のまち故にできた神戸の大胆な都市戦略は、長い歴史を誇る京都、大阪と都市格として肩を並べるところまでイメージを引き上げることに成功し、結果として関西の三都の一角を形成するまでに至っている。
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