■生活と道路
地域生活のありようと道路は実は密接な関係にある。既成市街地に従前から張り巡らされている道は、地域生活を支えるために存在していた。昔からの既成市街地には、長い生活の堆積の歴史によってそこかしこに生活文化が染みついている。そして住民たちは道という公共の広場的空間で佇み、挨拶を交わし、談笑しながら行き交ってきた。
このように、道は地域にとってのコミュニティの結節点ともいうべき役割を果たしていたと考えることができる。そして、道を中心として過去から育まれてきたこのような生活の習慣と地域の景観は、道が変化しない限り、時代がいかに変わろうとも大きく変化することはない。しかし、長い年月をかけて培われてきたそのような地域の風景を瞬間的に変化させてしまうことになるのが、拡幅やバイパス建設による道の道路化なのである。
車の渋滞問題を始めとして、狭い道は地域生活の阻害要因を幾つか抱えている。しかし、何がしかの効率性を求めての道路の拡幅は、結果として地域が長い年月をかけて積み重ねてきたものを根こそぎひっくり返してしまうことになってしまう。効率を求めて道が道路に変わることによって、その効率性の向上を評価して域外からの流入車両と激増と、外部資本の手による商業施設の乱立がもたらされることになる。そして、そうした大幅な環境変化によって、地域生活の結節点の役割を果してきた道は、逆に地域生活を分断する存在に変わってしまう。若干の生活利便性の向上と引き換えに、地域を外部経済の手に引き渡すことになってしまうのである。
前述した名古屋の生活文化の不毛性も、この道路の問題が少なからぬ影響を与えているものと考えられる。終戦後にいち早く敷設された百m道路を始めとして、名古屋の道路網の完成度の高さには定評がある。しかし、道路網のこのような完璧な整備が、一方で地域の固有性醸成の可能性を奪い取る一つの原因になっているのだ。広大な名古屋の市域を車で移動すると、まるでロサンゼルスのように、何処まで走っても景色が変化していかないことに気づく。何処までも同じ画一的な近代的風景が続くために、心に疲労感を覚えさせられる。
生活と道路の関係は、マス経済とそれに脅かされる地域社会の関係に等しいものがある。狭い道の拡幅という生活の阻害要因の安易な解消策は、域外からの流入車量の激増と外部資本の手による商業施設の建設ラッシュを生み、長い年月をかけて地域の中で育まれてきた生活文化や地域経済、更には固有の風景を瞬間的に消し去ってしまうことになってしまう。
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