3.生活文化が持つ生活への影響力
■生活に対する文化の規範力
人は歴史に裏打ちされた高質な文化的環境の中に入ると、知らず知らずのうちに居ずまいを正す。元々、生活文化とは生活規範の積み重ねによって醸成されるものであり、したがって、当然のごとく、生活文化は人の生活上の自由な立ち居振る舞いに規範を強いる側面がある。お茶やお華といった習い事の中の約束事のようなものが生活に一定の規範をもたらすのである。
もともと、生活というものには絶対的な基準が無い。掃除、洗濯などの家事労働を毎日一生懸命するのも生活なら、一週間に一度とするのも生活。ともすれば易きに流れやすい側面を持つ生活は、いとも簡単にその実体を希薄なものにしてしまいやすい脆さがある。そうした傾向に一定のヘッジを掛ける役目を担うのが生活文化であるということができる。
伝承ではなく、真の伝統を築くために絶えず新しい技術の革新に努めている京都・伏見の酒造メーカー月桂冠には、「随処為主の教え」という家訓がある。「"随処為主"とは、主体的に行動すれば、何処であろうと立つところはいずれも真実の道につながることを指す。環境や境遇に左右されて行動するのではなく、常に主体性を持つことが道を切り開くことを教えている」(神田良、岩崎尚人共著『老舗の教え』より)
また、明治八年に科学立国の理想に燃えて島津源蔵が起こした、教育用理化学器械の製造を行う島津製作所には、「事業の邪魔になる人」「家庭を滅ぼす人」というそれぞれ十五条ずつの仕事上、生活上の戒めを掲げている。
近代的な企業では見ることはできないが、老舗の会社の社是を見てみると、まるで道徳の教科書のような何の変哲もない生活上の立ち居振る舞いのことが記されていることが多い。社員に生活の規範と関連した商いの心構えを、そして、生活の規範自体をも求めることによって、消費者と常に同じ目線を維持しようというのだ。そして、そのことは常に社会の本質から外れることのない商いの道を可能にする。また一方で、そのような方針に基づく企業活動の集積は会社内部の文化的な環境の醸成につながり、生活文化に裏打ちされた商いの道へと高まっていく。そして、生活規範と商いと文化が従業員の営為の中で交差するそのような環境は、年月を経るにつれて、より高度で洗練されたレベルへと会社を導いてくれることになる。
多くの老舗の会社が当たり前のような生活規範を大事にする理由は、老舗企業の歴史と経験に裏付けられたこのような知恵に基づいているものと考えられる。このように、生活文化とは、人に規範を与えることによって生活を守り、人の集積である社会の中での企業活動にも正しい方向性を示し、かつ、より高次な段階に誘導してくれる公正な審判であり、伝道者のような存在であるということができる。
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