3.生活の構成員の生き方


■女性は生活の体現者

 女性の論理は経験則に基づく実感によって構成されるため、独身や、結婚していても子供がいない間は、その論理が生活に根ざすところまでにはなかなか育っていないケースが多い。昨今の家庭生活が軽視される社会環境の中では自らの生活規範を築き上げることも難しく、多くの場合、性差は外見にしか求められなくなりつつある。

 生活に自らのアイデンティティを求めることが出来ない女性が、どのようにして結婚して家庭生活を守っていけるのだろうかと他人事ながら不安を覚えたりするが、実はそのような女性たちも、いったん子供が生まれるとその考え方は「子供の命を守る」というところに劇的にシフトする。そしてその段階においては、彼女たちが今まで強い関心を払っていたフアッションも、流行ももはや彼女たちに何ほどの関心ももたらさず、子供の命にとって安全かどうかということが最大の関心事になる。子供を産むことによって、女性はすべからく人の命をテーマとする哲学者になることができるのだ。

 神が存在せず、規範の精神も乏しい国民性にあって、社会の健全性を占う家庭の存在は家制度という枠組みを失い、且つ外部経済に脅かされる中で実態を限りなく希薄化させている。今では母親の生活規範の中にしか、生活の健全性の維持を期待するところはなくなってしまっている。

 地域の必然を理解し、その中で生活を組み立てて恒久的な充実を図る。生活文化はその結果として醸成され、それはまた地域生活に一層の潤いをもたらしてくれる。そして、このような地域生活文化の伝承は、現状においては男性論理にではなく女性の実感により大きな可能性を求めることができる。生活文化は人間を媒介として伝承される。したがって、人間性から乖離した建前社会の中に埋没している男性よりも、自分自身の生活実感に基づいて生きる女性の方に生活文化は依拠しやすい。更に言えば、女性の存在そのものが文化であるということができる。

帰宅時の電車には、没個性的な背広に身を包んで、無精髭を生やしてスポーツ新聞に見入ったり、赤ら顔で酒気をぷんぷんさせながらうたた寝しているサラリーマンが溢れている。自らの主体性を放棄して組織に依存しきっているサラリーマンに、自立した人間だけが持つヒューマニティに依拠した文化性を感じとることは出来ない。

世をあげてのカルチャーブームという感もあるが、単にブームに狂奔するだけの"カルチャー狂い"と揶揄されるような主婦も多い。そうした段階に留まるのではなく、自らの文化性と生活に関する規範力を高め、外部経済の手によるフローの文化の消費者ではなく、生活文化というストックの創造者として自立することが成熟社会を目指す生活者には求められているのである。


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